[第4シリーズ] 第1回
「メンデルの足跡と遺伝学の誕生」Q & A
回答者:平野博之先生
【 質問1 】
メンデルはエレメントの構想をどの段階で持っていたのでしょうか。12年間の実験のスタートの前からか、それとも最中のどこかで持ち始めたとか知りたいです。
【 回答1 】
講演で触れた歴史的な論文以外には、メンデルの手記などは現在残っていません。ですから、どの段階からエレメントというアイディアを持っていたかは、よくわかりません。ただ、実験のスタート前には、そのようなアイディアは持っていなかったと思います。多数の交配の実験により、雑種第1代の形質が常に3:1の比率で現れるという結果を得て、その解釈をするために、エレメントのアイディアを考えついたのだと思います。
【 質問2 】
2点質問です。
1)メンデルが生物科学の開拓者でもあったということに驚きました。メンデルの業績が計画的かつ科学的だったにもかかわらず、「園芸好きの修道士が趣味として交配を行っているうちに遺伝に法則性があることに気がついた」という俗説が流布されるようになったのでしょうか。
2)メンデルは、自身の発見が生物学や社会に大きな影響を与えるという期待や展望は持っていなかったのでしょうか。
【 回答2 】
1)この俗説はそう多くは流布されているわけではありません。ただ、メンデルの研究や業績を紹介した本のいくつかに、このような記述を見かけたことがあります。メンデルに親しみやすいようにこのような表現をしたのかも知れませんが、科学研究を軽んじるような書き方はやめて欲しいと思っています。
2)メンデルの発見した遺伝の法則と遺伝子の概念は、現在でこそ、生物学全般にとって非常に重要なものであり、遺伝学は現代生物科学の中核的分野となっています。しかし、メンデル自身は、自分の研究が生物学や社会に大きな影響を与えると考えていたとは思いません。単に自分の研究を楽しみ、法則の発見に喜びを見いだしていたのだと思います。ただ、自分の研究成果には自信を持っており、友人などには「やがて自分の時代がやってくる」という言葉を残しているようです。これは大きな影響を与えると言うより、自分の発見した法則が認められるようになるという意味だと思います。
これに対し、進化論を提唱したダーウィンは、自分の「生物進化」の理論が、宗教的な面から社会に大きな影響を与えると考えていました。ダーウィンと彼の研究や進化論については、渡辺政隆先生が詳しくお話ししてくださると思いますので、ぜひ次回の講演も楽しんでください。
これに対し、進化論を提唱したダーウィンは、自分の「生物進化」の理論が、宗教的な面から社会に大きな影響を与えると考えていました。ダーウィンと彼の研究や進化論については、渡辺政隆先生が詳しくお話ししてくださると思いますので、ぜひ次回の講演も楽しんでください。
【 質問3 】
当時、論文を投稿するのに、どんな障壁があったのか。
メンデルの論文の共同執筆者は誰か。
メンデルは結婚していたのか。
メンデルの論文の共同執筆者は誰か。
メンデルは結婚していたのか。
【 回答3 】
論文は、メンデルの単独著者で、共同執筆者はいません。講義では非常に多数の交配と形質の調査を行ったことをお話ししましたが、驚くべきことは、この作業をメンデルは一人で行ったことです。
論文の発表や投稿に際しては、特に障壁は無かったと思います。メンデルが論文を発表したのは、『ブルノ自然科学研究会紀要』というヨーロッパの一地方の自然科学研究会が出版している雑誌でした。
メンデルは修道士ですので、終生独身でした。
論文の発表や投稿に際しては、特に障壁は無かったと思います。メンデルが論文を発表したのは、『ブルノ自然科学研究会紀要』というヨーロッパの一地方の自然科学研究会が出版している雑誌でした。
メンデルは修道士ですので、終生独身でした。
【 質問4 】
遺伝学は大変広い分野に及んでいますが、英語のものも含めてご推薦される教科書等ありましたら、ご教示いただければ幸いです。
【 回答4 】
遺伝学の教科書としては、ダニエルL.ハートル著『エッセンシャル 遺伝学・ゲノム科学』(化学同人)をお勧めします。いろいろな事項を丁寧に説明してありますし、図も多用して、わかり易い本です。500ページ近い大型の本ですが、小さくても紋切り型の説明の教科書と比べると、詳しく説明されていますので、理解度が増すと思います。理系大学生の1-2年生を対象とした教科書ですが、高校の生物学の充分な知識が無くても読み始められると思います。メンデルが行った研究も第2章で詳しく説明されています。
【 質問5 】
この様な実験を行うにあたって何かヒントになるものがあったのでしょうか。
【 回答5 】
メンデルが実験を行う数十年前から、ケールロイターやゲルトナーなどによって、植物を使った遺伝の実験はすでに行われていました。ですので、交配や形質を調べることなどについては、この先達たちの研究を参考にしたと思います。交配するためにまず純系であることを確認したこと、多数の交配をもとに大量のデータを得たこと、ひとつひとつの形質の現れる比率を統計的に解析したことなどは、それまでの研究では行われていません。これらの点がメンデルの実験の特徴であり、これに深い洞察力でその結果を解釈したことがメンデルが法則を発見したことにつながっています。
【 質問6 】
修道院が宗教の場だと思っていたので科学を探求する人達で構成されていたのかと驚きました。現在も、そういった面を持っているのでしょうか。それとも、時代的に知識を持つ人が多く集まっていたのでしょうか。
【 回答6 】
現在では、修道院は宗教的施設であり、科学的な探究活動をしているわけではありません。
中世から近世にいたるまで、ヨーロッパの識字率は非常に低く、16世紀になっても推定で5%前後だったとされています。そのような時代、読み書きができたのは、貴族や聖職者などごく一部の人たちで、修道院は宗教・哲学・歴史などの文化を担う重要な拠点でした。14-15世紀頃から徐々に大学が設立されていき、メンデルの生きた19世紀には大学の果たす役割が大きくなっています。それでもまだ、修道院は依然として文化や知的な活動と関わり続けていたようです。
中世から近世にいたるまで、ヨーロッパの識字率は非常に低く、16世紀になっても推定で5%前後だったとされています。そのような時代、読み書きができたのは、貴族や聖職者などごく一部の人たちで、修道院は宗教・哲学・歴史などの文化を担う重要な拠点でした。14-15世紀頃から徐々に大学が設立されていき、メンデルの生きた19世紀には大学の果たす役割が大きくなっています。それでもまだ、修道院は依然として文化や知的な活動と関わり続けていたようです。
【 質問7 】
メンデルの実験で意図的に仮説を証明できるよう結果を操作した箇所があると聞いた事がありますが、真実でしょうか?また、そもそもエンドウの実験のみで遺伝の法則を証明できるものなのでしょうか?
【 回答7 】
「メンデルが自説に合うように実験データを操作したのではないか?」という疑いをかけられたことは事実です。これを言い出したのが、高名な遺伝学者だっただけに、この疑いを支持する学者と反対する学者との間に、長い間論争がありました。疑いをかけられたのは、メンデルの実験データが3:1という理論値に合いすぎている(本来ならもう少しばらつきがある)ということでした。しかし、いろいろ統計学的な検討がなされ、現在では、メンデルは意図的にデータを操作したことは無かっただろうということに落ち着いています。
2つ目の質問についてですが、用語を厳密に使うと、生物学において「証明」ということはあり得ません。数学では、公理や定理をもとに演繹法によって論理だけで、ある命題を証明することができます。しかし、生物学などの実験科学ではそのような「証明」はできません。(説明するときに、「証明」という言葉を使うことはありますが…)
実験科学では、証拠を積み上げていくことにより、仮説が正しいかどうかの検証を行います。メンデルは、交配実験を通じて、「配偶子(精子と卵)がもっているエレメントの組み合わせにより、次世代の形質が決定される」という考えに到達しました。7つの形質について5-6世代後までを調べたのですから、その考えを支持する証拠はたくさん得ていたことになります。また、戻し交雑という方法によって、この考えが正しいことを実証しました。さらに証拠が増えたことになります。
しかし、これは、エンドウについての結果です。その意味では、質問された方の疑問はもっともです。
メンデルの法則の再発見者の一人、ド・フリースは十数種類の植物を使った実験で、メンデルと同じような結論に達しました。これは、メンデルの法則がエンドウ以外の植物にも適用されることを示しています。さらに、イギリスのベートソンや我が国の外山亀太郎が、動物の遺伝にもメンデルの法則が適用されることを見いだしています。
このように、メンデルの法則は、メンデル自身とその後の多くの研究者によって証拠が蓄積されていき、その正しさが実証されていったわけです。
2つ目の質問についてですが、用語を厳密に使うと、生物学において「証明」ということはあり得ません。数学では、公理や定理をもとに演繹法によって論理だけで、ある命題を証明することができます。しかし、生物学などの実験科学ではそのような「証明」はできません。(説明するときに、「証明」という言葉を使うことはありますが…)
実験科学では、証拠を積み上げていくことにより、仮説が正しいかどうかの検証を行います。メンデルは、交配実験を通じて、「配偶子(精子と卵)がもっているエレメントの組み合わせにより、次世代の形質が決定される」という考えに到達しました。7つの形質について5-6世代後までを調べたのですから、その考えを支持する証拠はたくさん得ていたことになります。また、戻し交雑という方法によって、この考えが正しいことを実証しました。さらに証拠が増えたことになります。
しかし、これは、エンドウについての結果です。その意味では、質問された方の疑問はもっともです。
メンデルの法則の再発見者の一人、ド・フリースは十数種類の植物を使った実験で、メンデルと同じような結論に達しました。これは、メンデルの法則がエンドウ以外の植物にも適用されることを示しています。さらに、イギリスのベートソンや我が国の外山亀太郎が、動物の遺伝にもメンデルの法則が適用されることを見いだしています。
このように、メンデルの法則は、メンデル自身とその後の多くの研究者によって証拠が蓄積されていき、その正しさが実証されていったわけです。