テーマ 39ゲノムは遺伝子の全ての集まりです
クレイグ・ヴェンターとフランシス・コリンズは、民間および連邦政府のヒトゲノムプロジェクトの取り組みを代表しています。
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- ジョン・クレイグ・ヴェンター(1946-)
フランシス・コリンズ(1950-)
もし、ヒトゲノムの配列解析が、生物の至高の目標[聖杯]であるならば、フランシス・コリンズは、そのリーダー[アーサー王]です[訳注:聖杯伝説に基づく例え]。コリンズは、1993年から2008年まで、米国立ヒトゲノム研究所[NHGRI] の所長として、地図づくりや配列解析、生物学の最初の“ビッグサイエンス”プロジェクトの資金管理を行いました。
生物学の一番ホットな話題に、密接に結びついていた人物にもかかわらず、フランシス・コリンズは、バージニア州のシェナンドア渓谷の農園で育ったので、生物学に興味がありませんでした。両親は、芸術に携わっていました。彼の父は、メアリー・ボールドウィン大学の演劇の教授で、農園に作った舞台で、演劇をプロデュースしました。
コリンズの心は、他のところにありました。しばしば、ゼロ除算の無限の成果を想定するような数字で、心は満ちていました。高校で、彼の数学への興味は化学へと変わりましたが、生物学には、魅力がありませんでした。「私たちがした全てのことは、ものごとを分析し、体の部分として記憶することで、そこには、いかなる論理もなさそうだった。」と、彼は芸術科学マガジンのインタビューで言いました。
コリンズは、高校を16歳で卒業した後、エコールズ奨学生として、バージニア大学に入学しました。彼は、一年目は、ギターの練習をやりすぎましたが、その後、クラスにいても楽しくない、科学マニアのひとりになりました。1970年に化学の学位を取得し、バージニアを離れて、イェール大学の大学院を目指しました。
そこでついに、コリンズは分子生物学のコースに “感心して”、生物学は、論理的に違いないと分かりました。理論物理学より明らかに有意義な何かをするために、コリンズは、博士号を得た後、ノースカロライナ大学チャペルヒル校の医学部に入学し、それから、ヒト遺伝学の博士研究員として、イェール大学に戻りました。
イェール大学でコリンズは、ヒトの疾患の原因となる遺伝子を、ゲノム中に見つけるための方法について研究し始めました。1984年に教授としてミシガン大学に移動した後、“ポジショナル・クローニング”とよばれる方法の研究を続けました。5年後、コリンズは、この方法で、嚢胞性繊維症の原因遺伝子を特定して、大きな成功を収めました。
彼は、NIHでも、疾患の原因遺伝子を探し続け、2009年に所長に任命されるまで、ひとつ見つけるたびに、バイクのヘルメットの後ろに、新しいステッカーを貼りつけました。彼は、2007年に、大統領自由勲章を、2008年に、米国科学栄誉賞を授与されました。
2000年6月に行われたTIME/CNNの投票では、41%のアメリカ人が、“ゲノム地図を作る技術の開発は、道徳的に間違っている”という声明に賛成しています。
あなたは、誰もが、地図づくりとはどういうことかを知っていると思いますか?なぜ、これほど多くの人が、それが道徳的に間違っていると、信じているのでしょうか?