テーマ 16ひとつの遺伝子はひとつのタンパク質を作ります
幼少期のジョージ・ビードル、1908年頃。
スタンフォードの研究室で仕事中のジョージ・ビードル。
実験計画を示すために並べられたアカパンカビ変異体。
1936年当時のロックフェラー財団の理事長フランク・ブレア・ハンソンの日記。彼は、ビードルは“注目すべき人物”と書いています。また、大学院生の給料についても注目[訳注:1936年当時の1ドルは、現在の日本円で約1500円]。
ロックフェラー財団はビードルの実験に資金提供した。この1943年の手紙は、ビードルがロックフェラーの理事長に宛てて研究の進み具合を報告したもの。
1949年、スタンフォードのアカパンカビ保管室でのビードルと助手。
エドワード・テータムに送った電報、彼とジョージ・ビードル、ジョシュア・レーダーバーグで1958年のノーベル生理学・医学賞を分けると言っています。
ノーベル賞式典でのジョージ・ビードル。
1969年の退官後、ビードルはトウモロコシの由来について研究を始めました。ビードルは、その人生を通じて農業とガーデニングに興味を持ち続けた、ノーベル賞受賞者の農夫でした。
1928年、トーマス・ハント・モーガンがカリフォルニア工科大学に移った時に、同僚がアカパンカビの培養株を持っていって、遺伝学の系として試してみるように薦めました。モーガンの院生のひとり、カール・リンデグレンはアカパンカビの遺伝学に取り組み、ビードルの実験への道を築きました。
アカパンカビの後、エドワード・テータムは大腸菌の栄養要求性変異株に取り組みました。細菌をモデル系として研究に用いる利点は何でしょうか?
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幼少期のジョージ・ビードル、1908年頃。