テーマ 20DNAのはしごは全体をコピーするための鋳型となります

マシュー・メセルソン フランクリン・スタール アーサー・コーンバーグ マシュー・メセルソンフランクリン・スタールは密度勾配遠心法を発明し、それをDNAが半保存的に複製されることの証明に使いました。アーサー・コーンバーグはDNA合成酵素Iを単離しました。これはDNAを複製できる酵素のうちのひとつです。

マシュー・スタンレー・メセルソン(1930-)


マシュー・メセルソン

 マシュー・メセルソンはコロラド州デンバーに生まれました。彼はいつも化学者になりたいと思っていて、家の地下室とガレージに作った大きな実験作業場を持っていました。メセルソンはシカゴ大学で化学を学び、カリフォルニア工科大学ライナス・ポーリングの元で学位を取るための研究をしました。メセルソンの学位の課題はある特別なタンパク質の構造を解明するためにX線結晶学を使うことでした。

 1954年、メセルソンは教育助手としてウッズホール海洋生物学研究所へ移りました。そこでメセルソンはフランクリン・スタールと出会いました。スタールは博士研究員で分子生物の技術を学ぶコースに参加していました。

 メセルソンとスタールは、理論と実施可能な実験について議論し、有益な夏を過ごしました。彼らは特にワトソンとクリックの半保存的複製のモデルが正しいかそうでないかを証明する方法の考案に関心がありました。メセルソンとスタールは、互いに相手のアイデアに理解を示し、一緒に適切な実験方法について考えることにしました。スタールはカリフォルニア工科大学で博士研究員の地位を得ました。そして1957年までに、この2人は半保存的複製の実験的な証明を成し遂げました。彼らは、これを密度勾配遠心法という新しい技術を発明することで行いました。密度勾配遠心法とは、遠心力を使って分子をその密度に基づいて分離する方法です。“古典的な”論文は1958年に発表されました。彼らの実験は“生物学の最も美しい実験のひとつ”と評されました。

 1957年、スタールと一緒に実験をしている間に、メセルソンは、博士号取得に十分なデータをポーリングのところで得ていました。それから彼は、カリフォルニア工科大学で、最初は特別研究員として、それから化学の助教を勤めました。メセルソンはファージの組換えについて研究し、組換えがDNA分子の切り貼りの結果起こることを示しました。1960年、フランシス・ジャコブとシドニー・ブレナーがカリフォルニア工科大学の彼の研究室を訪れ、そこで彼らはmRNAの存在を証明するのに必要なデータを得ました。

 1960年の秋、メセルソンはハーバード大学の分子生物学の准教授の職を受け入れました。現在、彼はそこの自然科学のトーマス・ダドリー・カボット教授職です。彼は宿主が自分のDNAを保護する仕組みを酵素の働きとして解明しました。細胞はDNAをメチル化することで自分自身のものであると認識します。外来のDNAは制限酵素によって攻撃され、破壊されます。しかし、自身のメチル化されたDNAはそのまま残ります。メセルソンはまた細胞がDNAの誤りを直す、DNAのミスマッチ修復機構を発見しました。現在、メセルソンの研究の関心は性の進化に関わるものです。彼はモデル系として、小さな無脊椎動物である輪形動物を使っています。

 1963年以来、メセルソンは戦争での化学兵器と生物兵器の使用について関心を持ち続けています。彼は多くの政府機関の相談役として活動し、生物兵器の偶発的もしくは誤った使用の影響についての科学的な研究活動に参加しています。メセルソンは化学生物兵器(CBW)の使用制限に関するハーバード・サセックス・プログラムの共同代表者です。このプログラムは化学生物兵器の使用に制限を設けることを目指しています。メセルソンはまたCBW会議紀要の共同編集者でもあります。

factoid Did you know ?

マシュー・メセルソンは、ベトナムで生物製剤が使用されたかどうかを調査した科学者のひとりでした。アメリカ政府は彼に生物兵器だったかもしれないものの残存物の分析を依頼しました。そのサンプルは蜂が集めた花粉であることが分かりました。

Hmmm...

最初、メセルソンとスタールは密度勾配遠心の実験にファージのDNAを使いました。ファージのDNAでは遠心チューブでバンドがうまく出ず、解釈できない結果が出ました。なぜこうなったのでしょうか?