テーマ 9特別な染色体が性を決定します
ネッティ・マリア・スティーブンスとエドマンド・ビーチャー・ウィルソンの2人は、染色体が性を決定するというアイデアにそれぞれ独立に辿り着きました。彼らの研究で遺伝における染色体の重要性が認められ、トーマス・ハント・モーガンがショウジョウバエを使った初期の遺伝学の結果を説明する助けとなりました。
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- エドマンド・ビーチャー・ウィルソン(1856-1939)
ネッティ・マリア・スティーブンス(1861-1912)
ネッティ・スティーブンスは生物科学で有名になった、最初の女性科学者のひとりでした。彼女はバーモント州、キャヴェンディッシュに生まれました。彼女の家族はバーモント州ウェストフォードに定住しました。父親は大工で便利屋でした。彼の仕事は順調で、ウェストフォードの不動産を多く所有し、子どもたちを学校に行かせることができました。
スティーブンスは優秀な学生で、いつもクラスでトップの成績を取っていました。1896年、スティーブンスはカリフォルニアのリーランド・スタンフォード大学に進学しました。彼女は生物学の修士号を得て卒業しました。彼女の修士論文は、新種の海洋生物を正確に注意深く、詳細に記述したもので、多くの顕微鏡作業を含んでいました。この経験が、後に彼女が染色体の動向の研究で成功を収める元となりました。
スタンフォードの後、スティーブンスは更に研究を進めるために、ブリンマー・カレッジに行きました。トーマス・ハント・モーガンはブリンマーでまだ教えていて、彼女の指導教官のひとりとなりました。スティーブンスはそこでも優秀で、海外で研究できる奨学金を授与されました。彼女はヨーロッパへ渡り、ドイツのヴュルツブルグの動物学研究所のテオドール・ボヴェリの研究室で研究しました。ボヴェリは染色体の遺伝における役割について研究していました。スティーブンスはそこでこの課題に興味を持ったようです。
1903年、スティーブンスはブリンマーから博士号を授与され、研究職を探し始めました。そして、ようやく彼女はトーマス・ハント・モーガン、エドマンド・ウィルソン、そしてブリンマーの学長のM. カーレイ・トーマスの称賛のこもった推薦を受けてカーネギー研究所の助手の職を手に入れました。彼女の性決定に関する研究は1905年のカーネギー研究所報告として発表されました。この最初の研究で、彼女はチャイロコメノゴミムシダマシで性決定を観察しました。後に、彼女は別のいろいろな生物で性決定を研究しました。
彼女にはブリンマー・カレッジでの助手として、教育に携わる義務もありました。彼女は純粋な研究職の地位を目指し、実験生物学研究所のチャールズ・ダベンポートに、そこで働けないかと手紙を書いて、打診しました。不幸なことに、スティーブンスはブリンマーで彼女のために用意された教授職に着く前に、また、コールド・スプリング・ハーバーでダベンポートと研究することなく、1912年に乳がんで亡くなりました。
(精子が含まれている)精液の受精能力を証明するために、1784年に科学者は交尾をする前のオスのカエルにパンツを履かせました。当然ながら、卵は発育することはありませんでした。
なぜ減数分裂という還元システムを持っているのでしょうか? 生殖細胞を作るために1組の染色体を壊すのではダメなのしょうか?