テーマ 38個体発生は細胞増殖と細胞死の調和で進行します
リー・ハートウェルは、酵母をモデル系として使い始めたひとりで、細胞周期に関わる多くの遺伝子を同定しました。ボブ・ホロヴィッツとマイク・ヘンガートナーは C. elegans を使って、プログラム細胞死の機構を解明しました。スコット・レーベの研究は、細胞周期の制御がどのようにがんに関わっているのかを明らかにしました。
ミハエル・オトマール・ヘンガートナー(1966-)
マイク・ヘンガートナーは、スイスのザンクト・ガレンで生まれました。父は数学の教授で、家族はスイスからフランスのパリ、インディアナ州ブルーミントン、そして最後は、カナダのモントリオールに居を移しました。この若き日の世界旅行は、ヘンガートナーの語学力を高めました。彼は、英語、フランス語、ドイツ語を話すことができます。
ヘンガートナーは、科学者になることに、何の疑いも持っていませんでした。彼にとっての主要な問題は、科学のどの分野に絞るかを決めることでした。数学は、彼の兄が進んだので対象外でした。ヘンガートナーは最初、物理学に進もうと考えましたが、あるときエルヴィン・シュレディンガーの“生命とは何か”という本を読みました。ヘンガートナーは、ほとんどの物理学者が研究分野を変えて、生物学者になりつつあることを知りました。ヘンガートナーはこうして、物理学に時間を費やさないことにしました。ヘンガートナーは1988年に、ケベックのラヴァル大学を生化学の学士号を取って卒業しました。
ヘンガートナーはマサチューセッツ工科大学の大学院生物学専攻に入学しました。彼は、ノーベル賞学者であるデービッド・ボルティモアのところで、ウイルスタンパク質の仕事がしたいと希望していました。しかし、最終決断の直前になって、ヘンガートナーは友達の強い勧めで、Caenorhabiditis elegans の研究室を運営しているボブ・ホロヴィッツの研究室ミーティングに出席しました。このときはまだ、C. elegans の分野はヘンガートナーには馴染みがなく、線虫を使った研究はピンとこないものでした。しかし、ホロヴィッツがヘンガートナーに、自分の研究室で働く気はないかとアプローチすると、ヘンガートナーは怖じ気ついて、嫌だとは言えませんでした。それは結果的に、ベストの選択でした。なぜなら、その後、行われた研究室のプロジェクトの可能性に関する議論で、ヘンガートナーは、プログラム細胞死のアイデアに魅了され、C. elegans を使ってそのメカニズムを決定できるようになったのですから。
1994年、ヘンガートナーは、C. elegans のプログラム細胞死に必要な遺伝子のひとつ、ced-9 のクローニングと解析によって、ホロヴィッツ研究室で博士号を取得しました。
ホロヴィッツ研究室でのヘンガートナーの仕事は彼を、C. elegans と他の生物とで共通して細胞死に関係する、他の遺伝子の研究に導きました。博士号取得後、ヘンガートナーは、コールド・スプリング・ハーバー研究所 (CSHL)の研究員になりました。彼は、CSHLワトソン生物学学校 の准教授でした。彼は、バーバラ・マクリントックが使っていた研究室で研究を続けました。2001年、ヘンガートナーはチューリッヒ大学 に移り、そこで、理学部長を務める傍ら、分子生物学の講座も受け持っています。
彼は細胞死学会の執行役員であり、2つのバイオ会社(ひとつはベルギーに本社があるDevgen 現:syngenta,、もうひとつはニューヨークに本社があるForScience)の共同創設者です。彼は、“Current Biology,[現代生物学]”や”Annals of Improbable Research[風変わりな研究の年報]”など、多くの科学雑誌の編集委員でもあります。ヘンガートナーは、彼の仕事に基づいた数多くの特許を持っています。
ヘンガートナーは、家族との余暇に多くの時間を充てています。彼はバレーボールもやりますし、2000年のCSHL(コールド・スプリング・ハーバー研究所)ブラックフォードカフェの、詩コンテスト(ブラックフォードというのはCSHLにあるカフェテリアです)の俳句部門で優勝しています。その応募作品は:
Black oozy syrup[黒蜜かけ放題]
Brew'd daily by the gallons[ビール飲み放題]
Free but at what price?[ただで済むのは、何だろう?]
C. elegans でプログラム細胞死を起こさなかった細胞は、その姉妹細胞と同じ運命を辿ります。余分な細胞が、害をなすようには思えませんが。
ブログラム細胞死を起こさない C. elegans 変異株にできる“余分な”細胞は、神経細胞のことが多いのです。そんな線虫は、賢いのかな?