テーマ 25一部のウイルスはRNAに遺伝情報を持っています

デビッド・ボルティモア ハワード・テミン デビッド・ボルティモアハワード・テミン、レナート・ダルベッコは、1975年のノーベル生理学・医学賞を共同受賞しました。腫瘍ウイルスと細胞の遺伝物質との相互作用に関する発見に対しての受賞でした。

デビッド・ボルティモア(1938-)


デビッド・ボルティモア

 デビッド・ボルティモアはニューヨーク市に生まれました。高校生として、彼は、メーン州のバー・ハーバーにあるジャクソン記念研究所の研究プログラムに参加しました。それが、生物学研究室で働き、科学者と交流した最初の経験でした。また、研究者としての最初の一歩でもありました。

 ボルティモアは生物学と化学をスワースモア大学で学びました。1959年、スワースモアでの3年目の夏、ボルティモアはコールド・スプリング・ハーバー研究所の最初の学部学生のひとりとなりました。彼はジョージ・ストライシンガーのもとで研究し、分子生物学の新しい分野に導かれました。

 1960年に卒業した後、ボルティモアはマサチューセッツ工科大学の生物物理学の博士課程に進みました。彼は動物のウイルスに興味を持つようになり、1961 年にマサチューセッツ工科大学を辞め、ロックフェラー大学のリチャード・フランクリンの下で、学位を取るための研究を続けました。フランクリンは動物ウイルスのコースを指導していて、ボルティモアはコールド・スプリング・ハーバーで、そのコースを受講していました。フランクリンは、特定のウイルスが細胞のRNA合成を止めさせて、ウイルスのRNAを合成させていると解釈できる、実験的な証拠を持っていました。

 博士研究員として、ボルティモアはウイルスの系、特に、ウイルスのRNA合成について研究し続けました。ボルティモアはソーク研究所で研究員になり、そこではポリオウイルスについて研究しました。彼は、ポリオウイルスが細胞質に入ると、そのRNAゲノムはmRNAになることを発見しました。

 1968年、ボルティモアはマサチューセッツ工科大学の微生物学の准教授になりました。このころまでに、彼は、RNAウイルスの全てが同じ方法で複製していないのではないかと疑い始めていました。ボルティモアはハワード・テミンのDNAプロウイルス仮説を知っていました。この仮説は、ウイルスのRNAはウイルスのDNAを作る鋳型であり、そのDNAがウイルスRNAの子孫を作る鋳型になるのではないかというものです。それは1960年代には、過激なアイデアとして、すでに認められていた、DNAからRNAそしてタンパク質へというセントラル・ドグマから、明らかに乖離(かいり)したものでした。自分自身も懐疑的であったボルティモアは、テミンの仮説は論理的なので、RNA依存型DNA合成酵素を発見することで、それを証明できると考えました。後に、RSV[ラウス腫瘍ウイルス]の逆転写酵素と名前がつけられる酵素です。ボルティモア、テミン、そしてレナート・ダルベッコ1975年のノーベル生理学・医学賞を受賞しました。腫瘍ウイルスと細胞の遺伝物質との相互作用に関する発見が受賞対象でした。

 ボルティモアは1972年に、マサチューセッツ工科大学の生物学の正教授になりました。1982年から1990年まで、ボルティモアはマサチューセッツ工科大学のホワイトヘッド生物医学研究所の所長で、設立者のひとりでした。1993年、彼はニューヨークに移り、彼の母校のひとつである、ロックフェラー大学の総長になりました。総長として1年務めた後、更に教授として3年間ロックフェラーで過ごしました。ボルティモアは、1998年から2006年までカリフォルニア工科大学(カルテック)の総長でした。更に、2007年には、米国科学推進協会の会長になりました。ボルティモアは今でも、カリフォルニア工科大学の教授です。

factoid Did you know ?

多くの科学者と同様に、デビッド・ボルティモアとハワード・テミンは、科学者としての道を早くから歩み始めました。2人共、高校でのプログラムに参加して、夏の間、研究室で働きました。

Hmmm...

逆転写酵素は、分子生物学者にとって、とても便利な酵素です。逆転写酵素を使って遺伝子をクローニングする方法を思いつくことができますか?