テーマ 28ある種の変異は自然に修復されます
クロード・ルパートは、光活性化DNA修復系に関する、独創性に富んだ研究を行いました。リチャード・セットローは、チミン二量体修復における、いくつもの初期の仕事を行いました。
- 別ページへ移動:
- クロード・S・ ルパート(1919-2017)
リチャード・B・セットロー(1921-2015)
リチャード・セットローは1921年に生まれ、ブロンクスで育ちました。学校での優秀な成績により、タウンゼント・ハリス高校への入学資格を与えられました[訳注:タウンゼント・ハリスは初代の駐日総領事]。この高校は後に、ラ・ガーディアNY市長[1934~1945年]のエリート主義によって廃校になっています。彼は、科学に興味を持ってスワースモア大学へ行き、非常に優れた物理の講師に出会いました。「私は、物理が物事をとても美しく説明してくれるので、物理学者になりました。」とセットローは言います。
1941年に大学を卒業後、セットローは、物理の研究を続けるために、イェール大学に行きました。「そこには、物理学部から始まった生物物理学者のグループがあり、私はとても楽しくなると思いました。」とセットローは回想します。「私たちは、タンパク質、ウイルスや細胞に、電離放射線や紫外線を照射することに多くの時間を費やしました。」
セットローは、1947年に物理の博士号を授かり、”研究が大変面白く、研究するための時間が多く欲しかった”ため、 オーク・リッジ国立研究所を1961年に離れるまで、イェールで、物理や生物物理を教え続けました。
彼は、“オーク・リッジで誰かに「おい、チミンの凍結溶液に照射している、頭のおかしいオランダ人について何か知っているかい?」と尋ねられ、何も知らないと白状しなければならなかった“ときに、初めてDNA修復機構に興味を持つようになりました。
頭のおかしいオランダ人の論文を調べた後、セットローは、紫外線照射で壊れたチミンの二量体は、細胞の光回復と同じ[しくみで修復される]、という彼らの結論は間違いなので、この問題の解決に乗り出そうと決心しました。1964年に、彼と同僚は、細菌の細胞は、チミン二量体を取り外し、損傷を受けていない塩基に置き換える酵素の働きによって修復することを明らかにしました。
1974年には、ブルックヘブン国立研究所(BNL)に移動し、DNA修復と紫外線照射の研究を精力的に行いました。セットローのチームは、1990年代には、紫外線に感受性のある特別な交配種の魚を用いて、それまで原因と考えられていたUV-B線ではなく、UV-A線がメラノーマの多くの原因であることを明らかにしました。
この発見により、セットローは、メラノーマの発生率の大幅な上昇は、UV-B線だけを遮断するオゾン層の減少だけが原因ではないと考えています。「私の感覚では、悪性腫瘍のメラノーマの大幅な増加は、生活様式の変化によるものです。」と彼は言います。人々は、太陽の下に長時間いるために日焼け止めクリームを使いますが、たとえ、UV-Aを遮断するとうたっている日焼け止めクリームでも、 “おそらくメラノーマを誘発する波長を排除していない”と。
1998年には、セットローは、研究に多くの時間を充てるために、BNLの生命科学の副所長としての管理業務を引退しました。セットローもまた、音楽、ハイキングや障害者のキャンプでのボランティア活動を楽しんでいます。
セットローは、数多くの賞を得ており、1973年に全米科学アカデミーに選ばれ、1988年に、米国科学振興協会の会員になりました。
DNA修復酵素はまとめて、“Science”誌の1994年の“年間最優秀分子”として表彰されました。
DNA修復機構は、過度な日焼けによる損傷にはついていけません。日焼け止め薬は、がんの原因となるUV-A線からあなたを保護しますか?