テーマ 26RNAは最初の遺伝分子でした
スタンリー・ミラーとハロルド・ユーリーは、有機分子が生命誕生前の条件下で、合成することができることを証明しました。トーマス・チェックとシドニー・アルトマンはRNAが酵素活性を持つことを発見しました。この発見で、彼らは1989年のノーベル化学賞を受賞しました。
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- スタンリー・ロイド・ミラー(1930-2007)
トーマス・ロバート・チェック(1947-)
トーマス(トム)・チェックはシカゴで生まれ、アイオワシティで育ちました。チェックの父は医者で、母は主婦でした。子供の頃、チェックは岩石や鉱物を収集し、父親やアイオワ大学の教授と化学の話をしていました。 高校時代も、スポーツより学問に興味を持っていました。
1966年に[アイオワ州]グリネル大学に進み、化学の勉強をしました。チェックは、化学を楽しみました。大学には、チェックと同じように学問に興味を持つ人が多くいたのです。 チェックは化学の分野にとどまろうとしましたが、大学院の時には、アルゴンヌ国立研究所やローレンス・バークレー研究所でも働きました。 そこでの研究の経験から、チェックは化学実験だけでは、意味のあるデータを収集するには時間がかかりすぎることを実感しました。
1970年に、チェックは大学院の仕事のために、カリフォルニア大学バークレー校を目指しました。そこでチェックは、分子生物学と出合いました。チェックは、この分野で可能であった、アイデアと実験の迅速な相互作用に興奮し、「自分なら分子生物学と化学の間の橋渡しができる」と宣言しました。 チェックは染色体の構造に関する論文で学位を取り、マサチューセッツ工科大学で博士研究員をしました。
1978年には、コロラド大学ボルダー校の生化学部にポジションを得ました。 チェックの研究グループは、RNAが自己スプライシングを行なうことと、リボザイム[触媒として働くRNA]として機能できることを発見しました。 この発見により、チェックはシドニー・アルトマンと共に1989年のノーベル化学賞を受賞しました。
1988年にはチェックは、ハワード・ヒューズ医学研究所の研究員となり、2000年から2009年の間、研究所長を務めました。 チェックは、多くの賞を受賞する中で、1995年の米国国家科学賞を受賞しました。
チェックは、家族とランニングやスキーなどのアウトドア活動を楽しみます。また、料理も好きとのことです。まだ、心の中では化学者なのですね。
ハロルド・ユーリーは、スタンリー・ミラーの第二指導教官でした。第一指導教官はアメリカの水爆の父として知られている、エドワード・テラーでした。第二次世界大戦後、テラーは、リバモアに放射線研究室を立ち上げるためにカリフォルニア大学に移りました。
ミラーの実験は、有機分子が原始大気の世界で合成されることを証明しましたが、いまだにどのようにして生命が誕生したかは分かっていません。あなたはどう思いますか?