テーマ 26RNAは最初の遺伝分子でした
スタンリー・ミラーとハロルド・ユーリーは、有機分子が生命誕生前の条件下で、合成することができることを証明しました。トーマス・チェックとシドニー・アルトマンはRNAが酵素活性を持つことを発見しました。この発見で、彼らは1989年のノーベル化学賞を受賞しました。
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- トーマス・ロバート・チェック(1947-)
スタンリー・ロイド・ミラー(1930-2007)
スタンリー・ミラーは、カリフォルニア州オークランドで生まれました。ミラーによると、科学的発見の時代に育ったため、科学的な職業を選ぶことは、簡単な選択だったとのことです。
ミラーは1951年に、カリフォルニア大学バークレー校で化学の学士号を取りました。その後、大学院生として、シカゴ大学に行きました。 ミラーはハロルド・ユーリーの太陽系の起源のセミナーに出席しました。 ユーリーは、有機分子が原始地球大気中で合成されるという理論を示しました。 ミラーが、卒業研究のテーマを探していた時に、ユーリーの話を思い出して、彼のところに行きました。このような危険なプロジェクトに大学院生を関わらせることに、最初は消極的だったユーリーも6ヶ月間受け入れることに同意しました。 ミラーは生命が誕生する前の地球の状態を再現するための装置を設計しました。 条件を案出するとすぐに、ミラーは生命に必要な単純な有機分子が合成されるという結果を得ました。 ミラーは1953年に、この結果をScience紙で発表しました。この論文には彼の名前しかありませんでした。ユーリーは、ミラーが全ての仕事をしたとして、自分の名前をその論文に載せることはなかったのです。
1954年に学位を取った後、ミラーは、カリフォルニア工科大学で博士研究員をしました。1955-1960年には、コロンビア大学で生化学の助教授をしました。 その後、ミラーはカリフォルニア大学サンディエゴ校の化学科の正教授になりました。 彼は“The Origin of Life on Earth[地球上の生命の起源]”という本を共著で出版しました。 彼の研究の興味は、生命誕生前のヌクレオチドの合成だけではなく、RNAワールド以前の遺伝物質で、リボースリン酸の代わりとなる骨格にも向いていました。
ハロルド・ユーリーは、スタンリー・ミラーの第二指導教官でした。第一指導教官はアメリカの水爆の父として知られている、エドワード・テラーでした。第二次世界大戦後、テラーは、リバモアに放射線研究室を立ち上げるためにカリフォルニア大学に移りました。
ミラーの実験は、有機分子が原始大気の世界で合成されることを証明しましたが、いまだにどのようにして生命が誕生したかは分かっていません。あなたはどう思いますか?